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自虐史観と自尊史観

お父さんが子供言うのである。(お母さんでもいいが)

「実は昔は酷いことをしてきたんだ」と、

あるいはその反対に、

「昔は素晴らしいことをしてきたんだ」

これを聞いて、子供はどう思うだろう。
父親の酷い過去を聞けば父親を軽蔑し、素晴らしい過去を聞けば父親を尊敬するのだろうか。

多くの場合、子供にとって大事なことは、自分が生まれる前に父親が何をしてきたかということよりも、今、この時点で、どういう父親であるかいうことではないだろうか。

自虐史観だと、国民は愛国心を持てず、軍も国を守る誇りを失うという論があるが、決してそうは思えない。

今、もし、国民に愛国の気持ちが薄れているのであれば、それは過去の問題ではない。
現状の日本の国に対して幻滅しているであろう。

さらに言えば、自虐史観と自尊史観(こんな言葉があるのどうか分からないが、対比の意味で名付けてみた)を比べたならば、自虐史観の方がマシではないだろうか。

自虐ということは、後ろめたさを持つことであり、その後ろめたさが、かえって善をなすことは、過去の歴史を鑑ても多いのである。

例えば、中国戦国時代の名君といえば、魏の文侯であり斉の威王である。
この二人は、いわば簒奪者であり、簒奪者であるという後ろめたさが、善政を志向したとも言えなくはない。

戦国のさらに前の春秋時代には、五覇と呼ばれる名君たちがいた。
その一人であり、臥薪嘗胆で有名な越王闔閭(こうりょ)は従兄弟である王の僚を暗殺し、王位についた。

さらに、斉桓晋文と称されて五覇の代表である斉の桓公は兄を殺して即位したし、晋の文公は甥を殺して即位した。

時代は下り、唐の太宗李世民は、中国史上の最高の名君とされており、その治世は貞観の治と讃えられている。
しかし、彼は、皇太子で兄の李建成を殺し、弟の李元吉も殺し、父親である高祖李淵を幽閉して実権を奪い即位したのである。

全てがこうなるとは、当然、言うつもりはないが、これらは、後ろめたさが返って良い方向につながった例である。

話を日本に戻すと、
戦後の日本は反省から始まった。

そして、高度成長期までの日本論・日本人論を読むと、多分、誰しもがここまで言わなくてもと思うくらい、自虐的な内容が多かった。

うろ覚えであるが、日本人はピグミーと並んで世界で最も醜い人種であると主張した本もあった。

戦争に負け、日本は自虐的にならざるをえなかったのであろう。
しかし、その負のエネルギーが、「このままではいけない。頑張ろう」という方向に転化され、経済では一流といわれる国を創り上げたとも、云えなくはない筈である。

ところが、「ジャパンasNo.1」ともてはやされ、バブルを向かえ、日本の不動産を売ればアメリカを二つ買うことができるなどと言われだした頃から、風向きは変わってきた。

国民の意識の中に、日本が一番良い国なのではないか、日本人が一番優れた民族なのではないかという意識が目立つようになってきた。

そして、それまでの史観が自虐史観であるとするなら、自尊史観が語られるようになってきたのである。

一国の長い歴史を考えたとき、悪い部分だけということもなければ、良い部分だけということもないであろう。

新たな資料等を元にして、歴史を見直すことは大事なことである。
そして、どちらかといえば、悪い部分に焦点が当たっていた昭和史の中から、日本の良い部分を見つけ直して欲しいとは、私も日本人である以上、望んでいる。

しかし、日本に自尊の意識が強まり始めてからの20年、日本が低迷を続けているということが、気になって仕方がない。

そもそも、日本人は、自虐をエネルギーに変える方が得意な民族ではないかと、思うことがある。

例えば、軍歌である。
あるアメリカ人が、日本の軍歌を聞いて反戦歌と思ったという話を、聞いたことがある。

例えば、有名な「戦友」の一番の歌詞は、
ここはお国を何百里
離れて遠き満州の
赤い夕日に照らされて
友は野末の石の下
であり、

「討匪行」の一番は、
どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ
三日二夜を食もなく
雨降りしぶく鉄兜(かぶと)

である。

曲調ともあいまって、普通では士気を鼓舞するような歌ではない。
自虐的と云ってもいい。
しかし、一般の将兵は、このような歌を口ずさんで戦いの労苦に耐えたのであろう。

国というものを一人の人間に喩えたとき、「私は立派な素晴らしい人間だ」と声高に叫ぶよりも、「まだまだ至らない人間です」と謙遜することの方が、美しい日本人だった気がする。

自虐史観でもなく自尊史観でもない、謙譲史観といったものこそが、私たちが今持つべき史観ではなかろうか。


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Comment
はじめまして
K.TAKAと申します。
とても興味深く拝読しました。

>自虐史観でもなく自尊史観でもない、謙譲史観といったものこそが、私たちが今持つべき史観ではなかろうか。
謙譲史観って日本の良さが出ている気がします。
私自身、自虐史観と言う言葉があること自体に違和感があります。キチンとした検証の上に導き出された歴史的事実であるならば、それは自虐であろうと自尊であろうと認めるほか無いのではないでしょうか。それを、そのような歴史を教えるからどうだとかいうのは本末転倒の話。だいたい史観と言う言葉が学問上は問題になると思います。事実を検証して行く上である立場に立つと言うことはすなわち事実を一面的に見ると言うことに他ならないと思うからです。
立場にこだわらず、ひたすら事実を追い求めること、その事が今求められているのではないでしょうか。
K.TAKA さんへ

始めてのコメントありがとうございます。
この問題では、もうあまり述べたくないのですが、どうしても気になって、また、書いてしまいました。
これからも、宜しくお願いします。

gatayanさんへ

仰られていることが、一番の正論でしょう。
ただ、今の問題になっていることは、学問としての議論ではないと思っています。政治の問題です。
学問的にいえば、私も彼も、曲学阿世と批判されるかもしれません。
自尊史観、そうかもしれないと思うことがよくあります。以前、ここでも紹介されていた田母神氏の論文なども、自尊史観からきているのではないかと思ってしまいます。
先の大戦をアジア解放のための聖戦だったなどという人が、最近、多くなってきたような気がいたします。
もしかしたら、少しはそんな理念も少しはあったのかもしれませんが、実際にやったことは同じアジア人への暴行や略奪。
それすらも、自尊に摩り替えてしまおうとしているのではないかと思ってしまいます。
私はどの意見も尊重すべきだとおもいます。でも、私の考えは違います。やっぱり人間という動物は戦わざるおえない時がある。歴史を見たらどの時代もやっている。
あの時日本がひれ伏していたら、今の世界はどうなっていたのか。
私は戦ってくれた人々に感謝したい。侵略は確かにしたし、良くない事もした。そこは反省すべき点もある。けれど、日本軍は紳士的だった。侵略した後も、ちゃんと莫大なお金を投入して(国のお金の40%)設備や、教育をほどこした。他にそんな国はないのです。奴隷として扱うような国ばかりです。
自虐してばかりで、アメリカに追随してばかりで、日本を無くして今さまよっている。
日本人はこの島国で立派に生きてきた。
誇りを持って、アメリカに物を言えるくらいにならなければいけない。
日本の国民は素晴らしかったとやっぱり思います。
何が言いたいのか分からなくなりました。スイマセン。
詰まるところ、日本人が日本人としてのアイデンティとは何かということになるように思うのですが、どうでしょう。
バンコクでもカトマンズでも異国の中に身を置いたとき、自分を支えてくれるものは何か。
日本人として誇れるものは何か、
それが問題になると思います。

私などは、昔は日本人は誠実な民族であるという風に思っていましたが、
バンコクやカトマンズで若者たちの姿を見るにつけ、それはもう日本人の美徳ではなくなっているのではと
思うことしばしばです。

ものがあふれている国、下水道、ごみ処理の整っている国、清潔な国というだけでは、支えにならないでしょう。
同じように経済大国日本というのも
本当に自慢できる姿なのか、それも
堂々と言い張れることでもありません。

幸福に充足して生きることが出来なければ、周りの国から、感心されても
余り嬉しい気持ちにならないように感じます。
こんばんは☆
私は昔の日本と日本人が大好きです!
奥ゆかしく礼をわきまえ人に優しく・・・
義理とか人情に厚い民族でした。
そういう人達が今は生きにくい世の中になったのが
問題かもしれません。
桃源児さんへ

日本が行なったこと全てが悪ということはないと思います。
しかし、昭和史はまだ歴史というには生々しすぎる時代です。昭和を語ることは政治を語ることになり、そこには様々な思惑が絡んでしまうのです。

ケロリーヌさんへ

言論の自由は大事ですから、自尊史観であっても抹殺することは、いけないことです。
日本の統治については、素晴らしかったという意見もありますが、正反対の意見もあります。今更投票もできませんから、どちらが正しいかは確かめようもありません。
日本人が誇りを持つことも大事でしょうし、自衛の軍が必要ではないかということについても、私は賛成です。
しかし、あの戦争で日本が善であったというのは、無理があります。
当時の良識的な人たち(この人たちだって、今の時代であれば右翼でしょう)も、多くが反対していた戦争です。

ひかるの さんへ

昔が良かったと追憶にふけるのは、日本が老年期に差し掛かったことを表しているのかもしれません。
そして、勤勉で真面目でといった日本人の自画像を今でも信じているのは、日本人だけかもしれません。
kirameki lee さんへ
記事にも書きましたが、私たちが行なったことは間違いではないという主張自体が、かつての日本人とは肌合いが違う気がします。
自国の歴史の良い部分だけを教え、他国を貶めようとすることは、それこそ、どこかの国みたいではないでしょうか。
日本の政治家には特に幻滅してます。
国政から市政まで日本の未来を担う人物と思えない。
僕個人としては現在自虐的であるようです。
※昨晩、レッドクリフ観てきました。
PART2が楽しみです。
多くの外国の人々のように、表彰台で国旗に向き合い国歌を歌う気持ち。
どれほどの日本が、そのように感じで日の丸を見上げ、君が代を声をそろえて唄うでしょう。
日本に対する誇り。このような精神の置き所がないことが自虐史観から抜け落ちていることを悔やみます。
ビルドアークさんへ

まぁ、政治家は国民のレベルの表れですから、私たちが変らない以上、変らないでしょう。
政治家によって変えられる世の中よりも、私たちによって変えられる政治家の方が、まだマシだとおもいますし。
レッドクリフは、観るまでパート2があることを、私は知りませんでした。

寓徒楽苦さんへ

始めてのコメントありがとうございます。
法制化以来、随分と意識は変化してきたのではないでしょうか。そのことに関しての良し悪しの議論はありますが。
今晩は。
私は、ただ

>今、この時点で、どういう父親であるかいうことではないだろうか

この部分に心が打たれました。
そう、過去や未来を語る事も大事で、すが、大事なのは現在であって、
過去ではないと思います。
過去があったから、現在をどう生きているのなんだと思うんです。
そして、それは継続していて、これから先も続いていくことで、
それをどう活きたものにしていけるかだと思います。

分かっていても、出来ないものなんですけどね。
逆かな?出来ないから、過去を振り返るんですね。
日本人は、やはり思いやりの民族なんでしょうかね。
でも、私はどちらも大事な気がします。
両方ほどよく合わせ持つことが大切なのではと思います。
やっちゃん さんへ

過去の結果としての現在と、未来の原因としての現在があります。今をより良く生きるためには、未来の原因としての現在を考えた方が、健全でしょう。

シンシアKさんへ

ほどよくが難しいんですよね。
孔子は中庸といいましたが、聖人でなければ出来ないことではないかと、考えることがあります。
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Author:西森憲司
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千葉県大網白里町季美の森在住
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